ヘンリー・ウォード・ビーチャーの名言
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友人にその欠点を教えるのは、友情の最もきびしい試練の一つである。もし相手に腹が立つとか憎らしいとかいうのなら、つかつかと近づいて激しい言葉を浴びせるのは何でもない。だが友人を愛するあまり、友人が罪にけがれるのを見るに耐えきれず、その痛ましい真実を愛の言葉で告げる。これこそ真の友情である。しかしそうした友人を持っている者はごくわずかしかいない。われわれの敵は常に、そのままでいいとしか考えない、剣の先を突きつけながら。
人間を殺すのは仕事ではない。悩みである。仕事は健康によい。けれど自分の力の限界以上に働くことはできない。悩みは歯車の錆である。機械がだめになるのは、絶えず回転するからではなく、絶えず摩擦するからである。
「許すことはできるが忘れることはできない」というのは、結局「許すことはできない」というのと同じことだ。取り消した契約書は二つにちぎって焼き捨てられ、もはや永久に人の目に触れることはない。人を許す態度もこうあるべきだ。
取り越し苦労をして先のことにばかり目を向け、まだ嵐がやって来ないうちから気をもんで、どうやって防こうかとうろたえるようでは、神に対する信頼を失ってしまう。まだこれからどうなるかわからないのに、打つ手や失敗した時のことまで考えて、わが身を地獄に堕としいれる時、われわれは恐怖心を追放してくれるあの「完全な愛」(神)から、完全に見放されているのだ。
神が海綿とカキ貝を創った時、海綿は岩の上に住まわせ、カキ貝は泥の中に住まわせた。しかし人間を創った時には、怠惰な海綿やカキ貝のように扱わなかった。手足、頭、心臓をつけ、生命の源である血液を通わせた。次いでそれぞれの器官に働き場を与え、人間に向かって命じた。「生きて働け!」
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