上杉謙信の名言
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心に気にかかる物のない時は、心は広く体も安らかである。
心にわがままのない時は、相手への愛と敬いの心を失わない。
心に欲のない時は、道理ある正しい道を進む。
心に私がない時は、疑うことしない。
心に驕りがない時は、人を尊ぶ。
心に誤りがない時は、人を畏れない。
心に邪見がない時は、人を育てる。
心に貪りがない時は、人に諂うことがない。
心に怒りのない時は、言葉は和やかである。
心に堪忍がある時は、物事を調えられる。
心に曇りがない時は、心は静かである。
心に勇がある時は、悔やむことがない。
心が賤しくない時は、無理な願いをしない。
心に親への孝行心がある時は、主への忠節も厚い。
心に自慢のない時は、人の善を知り。
心に迷いのない時は、人を咎めない。
《畏(おそ)れ 貪(むさぼ)り 諂(へつら)う》


※十六カ条からなる家訓
上杉謙信公家訓
武士の子は、十四、五歳の頃までは、わがままであっても勇気を育て、臆する気持ちを持たせぬようにせよ。勇気のある父を持つ子は臆する心を持たぬ。父は常々、この道を説き諭すことが大事である。少年時代の養育が一番重要である。
我が命のある間、国家を裏切る者を平らげ、諸国を一つに帰して、貧困に陥った人々を安住ならしめる他に希望はない。もし謙信の運が弱く、この志が空しいものならば、速やかに病死を賜るべし。

※武神毘沙門天に帰依した上杉謙信は参詣してこう祈った。
弓矢の道に携わる者は、それぞれのことに義の道がなければ、武士としての法は立たない。主人に非ある時は我が身をかえりみず意見をすることが義である。己の根気が続く限り諌め、用いられねば、家を去ってもよい。戦場では潔い死を心掛けるのが義の頂上である。誰でも死を望む者はいないが、日頃、恩禄を受けていることは、ひたすら命に代わるものと観念し、あらかじめ無き身と考えることが義の本(もと)である。戦場にあって逃げるのは不義の至極(しごく)で武上の操ではない。盗賊の徒である。
臆病者と剛の者との二つは、生まれつきとはいえども、まずはその身の心掛けによるのだ。男たらん者は明け暮れ心を師として、義理を忘れねば、不意の凶事であっても遅れをとることはない。大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。死ぬべき場にて生き延び、生きるところにて死ぬは、血気の勇者であって良いことではない。
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