ウィリアム・ジェームズの名言
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動作は感情に従って起こるように見えるが、実際は、動作と感情は並行するものなのである。動作のほうは意志によって直接に統制することができるが、感情はそうはできない。ところが、感情は、動作を調整することによって、間接に調整することができる。したがって、快活さを失った場合、それを取り戻す最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ。
どんなに金言名句をたくさん知っていても、どんなに良い気質を備えていても、機会がくるたびに具体的に行動に出なければ、人格は少しも向上しない。単に良い意図を持っているだけでは、人生はまさに地獄絵図になるだけである。
われわれは「この世」しか知らないが、「この世」はさらに大きな世界の一部であるかも知れない。こうした世界が存在すると信ずることは、この世で生を受けた者が果たすべき、最も大きな役割であるといえよう。「科学的」生活そのものは、「おそらく」という考えに大いに関係がある。そして総体にいって、人生のすべてはこの「おそらく」によって決定される。「おそらく」を抜きにしては、たたかっても勝利は得られず、誠実な行為も勇気ある行為も行えない。せっかく人に尽くしても、寛大に振舞っても、また科学的探索を行っても、実験を行っても、教科書を作っても、誤りを犯しかねない。われわれがこうして生きていられるのも、結局は絶えず危険を冒してはそれを征服するからである。「必ず実現する」という固い信念だけが、こうした本来実現するかどうかわからない結果を実現させるのである。
ひとたび決断を下し、あとは実行あるのみとなったら、その結果に対する責任や心配を完全に捨て去ろう。
われわれ人間は集団を好む動物であるとともに、自分の同族に認められること、それも好意をもって認められることの好きな動物でもある。もし自分の属する社会集団の誰からも完全にそっぽを向かれるとすれば、こんな残酷な刑罰はあるまい。