悲しみと苦痛は、やがて「人のために尽くす心」という美しい花を咲かせる土壌だと考えましょう。心を優しく持ち、耐え抜くことを学びましょう。……強い心で生きるために――言い換えれば、あせらずに、苦情を言わずに生きるために――できる限りの努力をすれば、いつかは楽しい満ち足りた生活を送れる日がやってきます。
心の優しさのあまり、困っている人を見ると、われ知らずにっこりと親切に話しかけ、手助けせずにはおられない人は、親切をするたびにうれしくてたまらず、そのうれしさが生き甲斐になっているのです。克服できそうにもなかった障害を克服し、さらにいっそう大きな達成目標をたてる――こんなすばらしい楽しみがまたとあるでしょうか。もし幸福な生活を送りたいと思う人々がほんの一瞬でも胸に手を当てて考えれば、心の底からしみじみと感じられる喜びは、足下に生える雑草や朝日にきらめく花の露と同様、無数にあることがわかるでしょう。
たとえ疑いをいっぱい持っていても落胆する必要はありません。健やかな質問はその人の信念を力強いものにします。はっきり言って、疑いの心から出発しなければ深く根ざした信念は得られません。軽々しくよく考えもしないで信じる人は大した信念を持っていません。何ものにも揺るがない信念を持っている人は、血と汗を流した結果それを勝ち得たのです――刺だらけのやぶを通り抜けて広々とした世界へ到達し、疑いの世界から真実の世界へ達したのです。
どんな人にとっても、何か特別な楽しみにふける時間がぜひ必要です。たとえ五分間でもよいから、一日に一回は美しい花や空の雲や星を見に外へ出ましょう。詩を諳(そら)んじるのもよいし、仕事に疲れた人々を慰めるのも、よいではありませんか。美の女神や喜びの神と笑顔を交わすのを後まわしにして、退屈な仕事やおつき合いばかりでは、くたくたになるほど体を酷使しても意味がないではありませんか。こうした美しい、いつまでも新鮮な、永遠なるものを人生の中に取り入れない限り、必ず天の恵みから、われとわが身を閉め出すことになり、その人の目に映り、手に触れる、すべての世界には、灰色の塵が積もることになります。空が大地より明るいといっても、大地そのものを心ゆくまで楽しまないうちは、大して意味はありません。その美しさを心から愛してこそ、日の出と星の輝きに心から打たれる資格が得られるのです。
どこに目を向けても、どんな時代や歴史を取り上げても、建造物をつくり、新しいものを発明し、未開の世界を文明化する「人間の手」があります。「手」は人間の仕事の力強さとすばらしさの象徴です。木を削ったり、鋸で引いたり、刻みつけたりして、さまざまの製品を作り上げる機械工のたくましい手は、野の花を描いたり、美しい壷をつくり出したりする芸術家のきゃしゃな手に比べても、法律をつくり出す政治家の手に比べても、世の中に役に立つ点では決してひけを取りません。いくら人間の眼がすばらしくても、手がなければ何にもなりません。何と「手」はすばらしいのでしょう!仕事をする「手」をほめたたえましょう。