鳥居元忠の名言
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いまだ食事が届かず、将兵の飢える時、我か衆とともに労苦をともにして進まずば、何をもって功をなすことができようか。士卒とともに餓死することをいとわぬ。

※城攻めの際、食料の到着が遅れ、士卒が飢えに苦しむことになった。ある兵が民家で飯を見つけ、元忠に食べさせようとしたが、こう言ってその飯を投げ捨てた。
感状というものは、別の主君に仕える時に役立つものでござる。某(それがし)の主君は家康公をおいて他にござらねば、感状などいり申さぬ。

※主君である徳川家康が感状を与えようとすると、こう言って受け取らなかった。

感状(かんじょう)=戦功のあった者に対して、主家や上官が与える賞状。中世では、多く知行(ちぎょう)を与える旨を記した書状をさした。
我、ここにて天下の勢を引き受け、百分の一にも対し難き人数をもって防ぎ戦い、目覚ましく討ち死にせん。
徳川の御家と盛衰安危をともにし、外に主を取らぬ筋目、寝ても覚めても忘れてはならぬ。また一度の不満に旧恩を忘れ、仮にも別心することは人の道ではない。

※子息、忠政への遺誡。
某(それがし)は才なき者でござれば、秀吉公と家康公の両君の恩恵を受けて、二君へ忠を尽くす術を知りませぬ。殊に三河譜代者にて、万事粗忽(そこつ)でござれば、秀吉公の御前に出仕するべき器量もござりませぬ。

※関白秀吉は元忠に官位を与えようとしたが、これを固辞してこう述べた。
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