今度、何か手のつけられないような困難に出合ったら思いきってその中へ飛び込み、不可能と思っていたことを可能にすることだ。自分の能力を完全に信頼していれば、必ずやれる。
勇気とは、恐怖に対する抵抗であり、恐怖を克服することだ。ただし、恐怖を忘れてしまうことではない。
臆病者と剛の者との二つは、生まれつきとはいえども、まずはその身の心掛けによるのだ。男たらん者は明け暮れ心を師として、義理を忘れねば、不意の凶事であっても遅れをとることはない。大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。死ぬべき場にて生き延び、生きるところにて死ぬは、血気の勇者であって良いことではない。
子供の頃はぶきっちょで体も弱かったので、青年になっても私は神経が落ち着かず、とうてい勇気を持てる自信などなかった。私は肉体面だけでなく、精神面でも負けじ魂の面でも、徹底的に鍛え直す必要があったのだ。……少年時代の私は、マリアッドの小説次の一節を繰り返し読んだものだ。小説の主人公に向かって、英国の一小戦艦の艦長が、肝っ玉のすわった人間になるにはどうすればよいか、教えているくだりである。
「初めて戦場に出るのは、誰でも恐ろしいものだが、取るべき道はただ一つ、戦闘など全然こわくないといった顔で立ち向かうことだ。この態度を常にとり続けていると、見せかけでなく、本当に度胸がすわってくる。恐怖を知らぬ態度を繰り返しているうちに、いつの間にか本当に恐怖を感じなくなり、度胸のある人間になるのだ」
私はこの考えにしたがって、恐怖を克服した。かつては灰色熊から「意地悪な」馬、ガン・ファイターに至るまで、ありとあらゆるものがこわかった。しかしこわくないようなふりをしていると、いつか本当にこわくなくなってきた。その気になりさえすれば、たいていの者は私と同じ経験をすることができる。
大胆は勇気を、臆病は恐怖をもたらす。
プブリウス・シルス